おからを出さない技術で起業支援、農商工連携へ
92年大手の食品メーカーの中央研究所の所長を務めた奥村信二農学博士と出会った。当時、農水省でオカラの処理についての大規模な調査が行われていることを教わった。
「オカラが将来大きな問題になる。とにかくこの問題の研究をしなさい」といわれた。会社の存亡危機の折、とても人員も設備もなかった。奥村先生の口利きでいろいろな研究設備を使わせていただき研究を進めた。しばらくすると地元の大手企業出身の人から声がかかった。「同じような研究をしている。実用レベルまできた。スポンサーも見つけ岐阜で事業をやるので手伝わないか」二つ返事で参加した。日本初のおからの出ない豆腐原料、大々的にPRし注目されたが、技術が未熟で豆腐も粉っぽく凝固性も悪かった。業界でもダメだと烙印を押された。参加していた事業も空中分解してしまった。しかたなくひとりで研究を続け改良を試みたが、一度与えた悪影響はなかなか取り戻せず事業化は挫折した。
挫折が生み出したオンリーワンの技術
国内の豆腐製造業者の数は年々減っていった。製造年月日の表示がなくなり消費期限だけになったのが拍車をかけた。低価格競争が広がり業界全体の経営環境は悪化していった。価格競争以外の豆腐の道を模索しないと顧客もなくなり自社の経営もジリ貧である。大田区のオンリーワン企業の切り抜きをみてニッチトップを目指す基本戦略が固まったとき挫折したこの技術を見直した。これこそオンリーワン技術ではないのか。
小さな豆腐屋さんでも収益があげられるビジネスモデル
たまたま長野で興味をもってくれた小さなお豆腐屋さんと出会った。やり方を変えてみた。効率だけではなく特徴のある豆腐を作って小さな豆腐屋さんでも収益があげられる差別化した技術にできれば可能性はあるのではないか。
改良を重ね独自製造技術を確立する。ポイントは大きく分けて2つ。脂質が多く微粉砕が不可能といわれた生大豆を熱変性させないで20μm(20/1000mm)程度に微粉砕する技術。微細な大豆パウダーをママ粉(ダマ)にならないように高速で攪拌し、栄養成分を十分抽出する乳化混合を主体とした豆腐製造技術だ。
濃厚な風味で評判になっていった。時代も後押ししてくれた。99年にオカラは製造業者にとって産業廃棄物との最高裁の判例が出て、おからの出ない製法に注目が集まった。
様々なビジネスモデルで全国に60店舗の実績
オカラは年間70万tも排出されておりほとんどが有効利用されずに捨てられていた。
大豆まるごと豆腐であれば無排出化するのに加えて製造時間を大幅に短縮できる。従来法は前日から9~15時間程度浸漬する必要があり豆腐店の負担も大きかった。朝早くからの作業が重くのしかかっていた。前日から仕込むため次の日の需要を予想して生産をしなくてはならなかったが、実際は見込み通りにいかず販売機会の喪失や原料のロスも少なくない。洗浄や浸漬の必要もないので排水量も低減できる。浸漬工程がないので気温水温に影響なく、熟練者がいなくても安定的に商品が作れるなどのメリットがあり、環境配慮型で労働負荷を減らしたビジネスモデルで全国に60店舗ほどの新規開業実績ができた。脱サラ、ガソリンスタンド、旅行代理店、葬儀屋さんなど異業種の多角化、業種転換のパターン、JAさんや道の駅、直売所や農家の六次産業化、町おこしや障害者施設、豆乳専門店やレストランとの併設などいろいろな形で広がっていった。
大豆の微粉砕技術を活かし農商工連携の和が広がる
02年より大豆栽培の研究にも取組んだ。国産大豆の品質のバラつきがきっかけだ。三重大学や農業生産者と連携してにがり農法という栽培技術を確立した。深層水のミネラル分を葉面散布して葉緑素を増やし大豆を元気にすることで農薬使用量を減らすなど品質を安定化させる栽培方法である。
このような取り組みを通じ徐々に農業生産者の方々との付き合いが広がった。大豆の微粉砕技術をいかして米粉等の依頼がくるようになった。現在は他にもお茶、のり、まこも、なばな、えびなどいろいろな地域農水産品の微粉砕の依頼がくるようになり農商工連携の和が広がった。今後も粉砕技術を核に地域資源の活用に少しでも貢献できればと考えている。