最近の取り組み


危機が生んだ理念とニッチトップ戦略

私がミナミ産業の社長に就任したのは92年28歳の時のことだ。ミナミ産業は父親と祖父が終戦の6年後、豆腐用の濾過布の販売をはじめた南川商店をベースに、68年に設立した会社である。若手の三代目社長(父が実質の創業者であるので二代目か)といえば順風満帆に聞こえるが全く逆で辛酸をなめ尽くした。
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地域資源を活用 萬来鍋を世界に

独創性をいかしてオンリーワンの技術でニッチトップを狙う」基本戦略が固まり、自社の強みをいかせるビジネス展開として、業界が大きな機械に目を向けているからこそ小さな機械で活路を見出そうと考えた。豆腐は出来たてが実においしい。知人などと構想を練り、卓上サイズの業務用豆腐製造装置を開発したことでホテルや旅館、飲食店など新しい販路ができた。これが「お客さんの目の前で豆腐ができたらもっと楽しい」という発想につながり豆腐ができる鍋の開発を進めた。
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おからを出さない技術で起業支援、農商工連携へ

92年大手の食品メーカーの中央研究所の所長を務めた奥村信二農学博士と出会った。当時、農水省でオカラの処理についての大規模な調査が行われていることを教わった。

「オカラが将来大きな問題になる。とにかくこの問題の研究をしなさい」といわれた。会社の存亡危機の折、とても人員も設備もなかった。奥村先生の口利きでいろいろな研究設備を使わせていただき研究を進めた。しばらくすると地元の大手企業出身の人から声がかかった。
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