1997~99年頃知人の紹介があって韓国企業と業務提携を行い、小型豆腐製造装置のライセンス販売を行うために度々韓国を訪問した
言葉もわからず国籍も文化も異なる国にかばん一つで飛び込んでいった。
とにかくビジネスになるならどこへでもいくという気概でやっていた。
当時(97年)に韓国は財閥系企業の破綻が相次ぎタイの通貨危機の影響も受けてウォンが急落、韓国も通貨危機に陥っていた。
TVでは「IMF」という言葉がやたら叫ばれ新聞も「IMF」キーワードが載らない日はなかった。
韓国語が全くわからない自分でも街中「IMF」という言葉があふれていることはわかった。
それだけ韓国国民は危機感を強く感じしていた。
97年にIMF,世界銀行、米国、日本などが韓国に金融支援をした。
IMFから資金援助のかわりに韓国政府は急速な経済立て直しを迫られた。
金融機関の統廃合や競争重視を行い「ビックディール」という名のもと 政府が力技で大企業の統合合併を一気に進めた。
通貨危機までの韓国は財閥系企業が高度成長とともに多角化投資、事業拡大に邁進し、効率を無視して建設、デパート、自動車などいろいろな分野の事業を行っていた。体力以上の投資は不況に陥ると設備過剰で財務体質の悪化が進み悪循環を加速さえた。
韓国の不況は90年代日本の円安が進み韓国の商品が売れなくなったことが原因らしい
それまでの政財官は癒着がはびこり日本以上に「護送船団方式」といわれていたがこの危機が大きく韓国を変えた。
民間人もこの危機を救うために国のために貴金属を寄付するといった話も報道されていた。官民一体で危機感を共有化していた。
大胆でスピーディーな対応を行い業界は集約され統合により企業体質が強化され、復活につながっていった。
日本は92年のバブル崩壊の危機後もソフトランディング路線をとり産業の再編のスピードは遅かった。
現在の日本をみると迷走する政治、内需の縮小、進まない経済連携協定や改革、そこに大震災が起こり電力不足や風評被害、超円高が進むなど不安要素満載の状態である。
韓国との経済規模も違うので単純に比較はできない
韓国国内では経済危機の脱却の代償として格差の広がり、歪みがでていることも事実であるが
大きな変革のためには日本国民も健全なる危機感は必要ではないかと思う
今こそ政財官そして国民も危機感を共有し成長に向けた変革が必要な時期にきているのではないだろうか
先日健康寿命についてのブログをかいた。今回もその続きで興味深いデータを紹介する。
「風邪をひいたらどうするか」を各国の高齢者に尋ねた国際長寿センター(ILC)の調査では
日本、米国、フランスでは半数以上が医療機関に行くと答えているのに対して無料の国営医療制度をもつ
英国では家で薬を飲んで安静にするといった回答が圧倒的多いらしい。
英国人は「みんなの制度なので利用は必要な人だけ。風邪くらいで医師の邪魔をしたくない」といった理由が挙げられているとのことであった。
国民すべてをカバーする医療制度をもつ日英両国で大きな開きのあることに正直驚いた。
米国などは日英にような医療制度はなく、なかなか医療機関にいけない人も多いと聞く
そういった意味では日英は非常優れた医療制度が整っており日本の長寿を支えている部分も大きい
しかしながらこの制度の運営や維持には大きなコストがかかり、日英両国とも財政面で同様の苦労をしている。
高齢化が進む中、これらのコストはさらに増大し国民負担も増えていくことは間違いない。
この医療制度の健全な運営、維持について国民の対応が単に日本的か英国的のどちらが優れているかといった
二者択一の発想だけで判断するのは難しい
「食」と「健康」は密接に関係している。
日本の伝統食品原料である「大豆」が日本人の健康に寄与している点は多くの研究で証明されている。
その健康機能性は世界中で注目されている。
世界5大健康食品にも日本の大豆が選ばれている。
健康寿命に「大豆」が担う役割はますます増えそうだ。
日本人の平均寿命がなぜ長いのかこれまでいろいろな国の人たちと議論をしてことがある。
医療制度や設備の充実、食、社会環境などなどいろいろ意見がった。
そんな中 先日新聞に興味深いコラムが掲載されていた。
内容は次の通りだ。
WHOでは平均寿命から介護などが必要な期間を差し引いたものを
健康寿命と定義しており日本がやはり世界一らしく 健康なお年寄りが多い国のようだ。
内閣府の意識調査でも65歳以上の80%近い人々が自分の健康状態を
「よい」または「普通」と答えているらしい
ところが「高齢者が医療機関を年に何回利用するか」について
経済協力開発機構(OECD)のデータでは 日本13回、フランス6回、英国5回、米国4回と
意外な数字並んでいる。
健康なはずの日本がなぜ?疑問に感じる数字である。
日本では検査通院なども含まれており、検査による安心感が健康意識を支えているのではないかと
は書かれていた。
日本では予防を徹底させることで結果的に医療費の負担を未然に防いでいる面もあると書かれいた。
この点については若干疑問が残る。
国民すべてをカバーするすぐれた医療制度を日本はもっているが、必要以上に医療費を使うリスクも否めない。
高齢化が進むにつれて確実に医療コストは毎年上昇し、国の借金は増大していく
明日の世代に先送りではすまされない
耳障りのよい話に惑わされず国民一人一人が健康寿命について真剣に考える必要がありそうだ。
先日おとうふ工房いしかわさんの新規店舗「豆蔵刈谷銀座店」のプレオープンに行ってきた。
おとうふ工房いしかわさんは価格競争の厳しい豆腐業界で全国的にも有名な元気印のお豆腐メーカーである。
近年急成長を遂げており、基本戦略がしっかりしている。
戦略論といえばマイケルポーターが有名であるがポーターの競争戦略によると企業がとるべき基本戦略は突き詰めると下記の3つだといっている。
① コストリーダシップ戦略
② 差別化戦略
③ 集中戦略
突き詰めると企業はこの3つの戦略のいずれかを選択しなければならないという。
コストリーダーシップで低コスト体質を実現させることで競合他社より低価格で製品やサービスを提供する戦略。
品質が同じなら安い方から購入するとうわかりやすい戦略である。この場合はライバル企業とは価格競争に突入する。
低コスト体質を実現できないままの低価格戦略は自殺行為に等しい。
残念ながら豆腐業界でも低コスト体質を実現しないまま採算性も度外視した赤字覚悟の低価格競争が横行し倒産廃業するところが後を絶たない。
そういった意味ではいしかわさんは豆腐業界で差別化戦略を実践して成長している注目すべき豆腐メーカーである。
石川社長に話を伺うと高い豆腐は売れているとのこと。低価格化しないと売れないのというのは幻想と言い切る。
この差別戦略で成長を続け昨年度は36億円、本年度は42億円の売り上げを見込んでいるという。
石川社長とは同年代でいつもお会いするととてもいい刺激をいただく。
豆腐メーカーとして売上規模も必要という。売上規模は企業の力であり、30億円を越えたあたりから
他社との連携などを含め成長につながるチャンスが増えてきたといっておられた。
上記のポーターの3つの基本戦略もライバルと違う独自の価値を提供するという観点では突き詰めると差別化戦略といえる。
差別化戦略を考えるときおとうふ工房いしかわさんの戦略は豆腐業界だけにとどまらずいろいろな業界でも参考になる事例だ。
とうふや豆蔵 刈谷銀座店
ショップ/10:00~19:00
レストラン まめぞうビュッフェ/
ブランチタイム 10:00~15:00
ティータイム内 15:00~19:00
愛知県刈谷市銀座4-40
TEL:0566-91-8547
9年ほど前に大豆栽培に興味をもちはじめたころ知り合いに頼みいろいろ肥料を使い家庭菜園レベルで大豆栽培の実験をしてみた。
気が付くと大豆の栽培についていろいろ調べないと気が済まなくなってきた。
ある日大豆などの豆科の植物はマグネシュムが必要とかかれている文献が目にとまった。
にがりの主成分は塩化マグネシュム、試しににがりを土壌や葉っぱに散布してみた。
ついでにいろいろな野菜にも散布してみたところ、おもしろいことが起こった。
白い斑点やくすんだような葉っぱが青々として元気がよくなった。
翌年 大豆商社の豆時さんにも協力をしてもらって少し広い範囲で栽培してデータを集めてみた。
効果が期待できそうだったので、2004年に思い切って三重大学を訪問し生物資源学部の梅崎教授を紹介していただき共同研究を申し込んだ。
梅崎先生からは①にがり散布地区②水のみ散布する地区③無散布地区の3種に分けて実験する必要があるとのアドバイスを受けた。これまでの素人の実験の甘さを指摘された。
三重県の農政普及室も協力してくれ、意欲のある農家探しを手伝ってくれた。
そこではじめて斉藤農場の斉藤悟さんと出会った。
2004年、3区に分けて斉藤さんの農場で実験を開始し夏ごろまで順調に進んだ
この年は台風のあたり年で複数の台風が上陸して大豆畑を直撃した。
畑はめちゃくちゃになり一番大事な時期のデータがまともにとれない状態になった。
一年を棒に振ってしまった。このとき初めて農業の厳しさを身にしみて感じた。
機械等の開発なら失敗すればすぐにやり直しがきくが自然を相手に一年で一発の勝負。
泣きたい気持ちだった。
海外の市場調査なども自分でやっていたので時間的余裕もなくやめようかとかなり迷った。
しかし農家の斉藤さん、豆屋さん、三重大学の先生等協力していただいていた皆さんを巻き込んでいたので簡単にはやめられなかった。
翌年いろいろな基礎的なデータも取れ、葉緑素が増えたり落葉が遅れる効果が確認できた。
またできた大豆もタンパク含有量が高く品質が安定した。
現在では散布するにがり等のミネラル液を作る技術も向上した。
栽培の基礎研究はかなり進み栽培方法も学術発表されている。
栽培マニュアルや栽培履歴なども作りトレーサビリティについても国産大豆ではかなりのレベルになった。
農地も家庭菜園に毛が生えた程度の面積から徐々に協力者が増えて約130ha(39万坪)まで広がった。
農家の方々も意識がどんどん高まり四日市地区では完全無農薬無化学肥料で大豆を栽培している。
現在米やいろいろな野菜なのでも栽培実験を行っている。
今年商標登録が認可され農家の方々とブランド戦略について真剣に話をしている。
あの時やめていたらこのつながりはなかった。
食品関連企業や農業生産者、陶芸家、食品のコンサル、鋳鉄食器メーカー、環境分析の企業、行政関係など様々な方々に集まっていただき先日「オール三重」で中小企業国際化について意見交換会をじばさん三重で行った。
僭越ながら当社の取組みを最初に失敗談を含め紹介をさせていただき、進行役を勤めて各社の取組みや国際化についての考えを話していただいた。
各企業の込み入った内容なのでブログで紹介できないのが残念だが、この後の懇親会も含めいろいろ本音を聞くことができた。中小企業の連携や国際化の研究をすすめていくことで合意した。
近年、中小企業の国際化をバックアップも行政側で積極的に行われるようになってきた。
一昨日も知事も参加され海外販路開拓チャレンジ推進事業のキックオフセミナーが津で開催された。
講師の高橋さんを含め知り合いの人たちに沢山お会いした。休日にもかかわらず多くの参加者が詰め掛け各企業の国際化への意識が高まりを実感した。
日本食が世界的ブームになる中、当社と万古焼メーカーさんで連携して地域資源を活かし萬来鍋という商品を開発し「世界中どこでも本格的な豆腐ができる」というキャッチフレーズで鍋や豆乳を海外に販売している。
我々の取組みを経済学者の伊藤元重先生の番組で昨年取り上げていただいた。
番組では、京都の京セラ、村田製作所などの例も引合いに出して伝統産業のモノ作りが残っているところから新しいイノベーションが生まれてくることを可能性が高いことを説明され、モノ作りの集積(クラスター)の重要性を話しておられた。
また戦国時代の剣豪 塚原卜伝の言葉を引用し「天の時、地の利、人の和、工夫」これが現在のビジネスにおいても十分通用する重要なキーワードであるといっておられた。
概ね内容は次の通り
天の時=タイミング ビジネスもタイミングが重要
地の利=ビジネス環境、産地などの優位性を考える
人の和=ネットワーク 一人の力ではできないことも連携力をもって大きな力に変える
工夫=イノベーション 新しい技術や考え方で新しい価値を生み出し変革をもたらす知恵
内需が減少する中、今こそこのキーワードを考える必要がありそうだ。
米国の債務引下げ問題に端を発した米国の財務不安が主な要因のようだが、東日本大震災直後の戦後最高値の水準にまで円高が進んでいる。
主要国との経済連携協定も進まず高い人件費や高い法人税と国際競争力の阻害要因が多い中、震災や原発の影響で電力問題や風評被害という大きなダメージに苦しむ日本の輸出産業に、今回の円高は致命的な打撃を与えかねない
震災直後の円高は各国の協調介入で防いだが今回は各国の協力は厳しそう
震災後TPPの参加検討や法人税減税などもすっかり陰をひそめてしまった。
震災や原発問題への対応はプライオリティの高い問題であるが産業が空洞化してしまっては日本の復興もおぼつかない
同時進行で進めなければならない問題だ。
日本単独の為替介入では円高を止める効果は不透明であるが、産業に活力を与える効果が期待できることからどんどん進めるべき。
いち早い対応を望みたい。
一方この円高をチャンスととらえる企業もある。楽天がドイツのネット通販大手を買収し子会社化した。
確かに海外に投資するにはよい時期である。
一企業ではどうしようないこと変えられないこともある。
明日の天気を悩んでみても変わるわけではない自分でできることを冷静に考えることが重要。
国や企業も、今対応できることを冷静に考えて変化に対応していかなければならないと思う。
先日韓国でKTXに乗った。
KTXとはソウルと釜山を結ぶ韓国が誇る高速鉄道で2004年に暫定開業し、ソウル釜山間が全線開通したのは2010年である。
韓国の方にKTXでしばしばトラブルや事故が発生している話を聞いた。歴史が浅いということもあるだろうがハードの面だけでなくソフトの面でもいろいろ問題があるらしい。
少し前KTXが緊急急停車するトラブルがあったらしい。原因は運転手置いたカバンが急停止のボタンを押していたというケアレスミスだったらしい。
考えてみると日本の新幹線はすごいなと改めえ感じた。
開業は東京オリンピックの年の1964年、47年前に遡る。
フランスの高速鉄度TGVの開業が1981年なのと比べても驚きである。
比較的直線的なところを走るTGVも過去何度も脱線などトラブルが発生しているが、カーブの多い日本で長年大きなトラブルや事故は発生していない。
普段当たり前に思っているがこれはかなりすごいことである。
マグニチュード9.0の東日本大震災でも事故を起こさず見事に止めて見せた。
新潟中越地震でも事故を未然に防ぐなど安全技術はすばらしいものがある。
最近なにかと問題になっていた中国の高速鉄道。開業後トラブル続きであった。
そして不幸にも多くの死傷者を出す大事故が発生した。
以前よりささやかれていた不安が現実となってしまった。
世界一を目指すあまり安全性が軽視し開通を急いだと懸念の声もでてだけに事実とするとあまりにも不幸な出来事である。
原発事故の影響で日本の安全神話に陰りがでているが高速鉄道の安全に対する技術は
世界に誇れる素晴らしい技術であると思う。
円高、高い法人税、進まない主要国との貿易協定、高い人件費など日本企業を取り巻く環境は厳しい。
鉛の足かせをつけてワールドカップを戦っているようなものだと例えた専門家もいた。
加えて電力問題という大きなハンディを背負うことになった日本企業。
国際競争力の低下でまずます日本のモノ作りが危機に陥っている今こそ
できるところからハンディを取り除いていく必要がある。
「ぴあ首都圏版」が本日発売の「最終号」で39年の歴史に幕を閉じる。
学生時代(80年代)「ぴあ」にはずいぶんお世話になった。
当時東京では旧作映画を安くみられる映画館や新作を少し遅れて上映するところ、マニアックな作品を上映するところなど、いろいろな映画館があった。
「ぴあ」で調べて「仁義なき戦い」を連続で一日で5、6本観たこともあった。見逃した「ブレードランナー」の上演している映画館を探し遠くまで観に行ったこともある。
映画だけでなく音楽や演劇などエンターテーメント情報を幅広く網羅しており、「ぴあ」を見ればいつ、どこで、どんなイベントがやっているか一目でわかる便利な情報誌であった。
学生時代の私にとっては斬新な本であった。一目でそれとわかる表紙のデザインもちょっとかっこよかった。
「ぴあ」を握り締めて場末の映画館に行くのが無性に楽しかった。
70年代発刊以降おそらく多くの若者が恩恵を受けてきたと思う。
「ぴあ」は映画や演劇好きの大学生などの仲間が集まって、6畳の下宿を編集室にして創刊させた。
80年代発行部数はピーク達した。
「チケットぴあ」のサービスも開始するなど80年代は常に時代のニーズを的確にとらえていた。
90年代になると発行部数も徐々に頭打ちになり、2000年以降はどんどん発行部数も減っていったという。
インターネットの普及や若者のライフスタイルの変化により「ぴあ」の役割がどんどんなくなっていった。
私自身青春時代の必需品であった「ぴあ」がなくなることはとても大きなショックであった。
寂しい気持ちを紛らわせるために「ぴあ」が苦戦していったエンターテーメント情報誌業界の環境をいろいろ考えてみた。
業界内の競争状況を分析にする手法としてマイケル・E・ポーターは「競争の戦略」の中でファイブフォースの分析が重要だと説いている。ファイブフォース(5つの競争要因)とは①新規参入の脅威②競争業者の敵対関係③代替製品の脅威④買い手の交渉力⑤供給業者の交渉力のこと。業界内の競争を分析し競争に勝つ戦略を作るには有効な分析だと学んだ。これをちょっと参考にしてみた。
「ぴあ」を取り巻く業界の競争状況は「東京ウォーカー」などの常に新しい情報誌がどんどん新規参入する厳しい環境であったこと。
主要な顧客である若者のライフスタイルはどんどん変化しレンタルDVDやスカパー、ネット配信の普及で映画館そのものが衰退していった。縮小する紙の市場の中で「シティロード」や「スクリーン」等情報誌、専門誌などと熾烈な競争をしなければならない状況であったこと
そしてもっとも大きなインパクトとして90年代以降にインターネットが急速に普及しウェブによる情報サイトという強力な代替製品が出現し「ぴあ」の運命を変えていった。
ネットの普及により買い手はいろいろなエンターテーメント情報が手軽にすばやく無料で手に入るようになり、「ぴあ」に載っている情報は価値がどんどん下がっていた。
状況を打開するためにこれまで「情報の価値判断をしない」とう方針を変更し編集者や有名人の評価を掲載する手も打つったらしい
しかしながらブログやツイッターなどのの普及とともに有名人や専門家の評価という商品の付加価値は昔のように高くはない。
むしろ無償の身近な一般人の評価にこそリアリティがあり参考になると考えることが多いような気がする。
昔に比べ明らかに買い手は「宣伝臭」を嗅ぎ分ける嗅覚は鋭くなっていると思う。
残念ながらこうして「ぴあ」は発行部数を回復できず休刊に追い込まれていったと推測する。
現在 SNS等が世界中に広がりダイナミックに世の中を変えている。
時には政権をもひっくり返すような力をもつようになってきた。
ビジネスでもこれまで代替とは考えていなかったものがある日突然代替製品になり大苦戦を強いられることもある。
新技術の開発で異業種の企業が参入して競争関係が全く変化することもある。
CDの売上に携帯電話が大きく影響していたり、デジカメの出現がカメラ業界に与えた衝撃など沢山ある。
買い手の情報に関する価値も大きく変化しておりこれまでの常識がなかなか通用しない。
インターネットで急成長した情報サイトですらSNSの広がりで危機感を抱き、立場も危うくなってきている状況である。
業界内の競争を考える時、どうしても同業他社にばかり注意がいってしまう。
様々な側面から競争要因を分析をして生き残り、成長戦略を考えなければいけない。
気がついたら「ぴあ」の休刊を通していろいろな考えを頭の中で膨らませていた。
ただこれだけは事実である「ぴあ」は若者のニーズによって生まれ、多くの人の共感を得てその後の情報誌にも多大な影響力を与えたこと。
愛知県の豊田市井ノ口町(旧足助町)にととろ庵さんという自然薯を使った豆腐工房がある。
香嵐渓に向かう通り沿いで木々に囲まれた雰囲気のよい場所にお店はある。
もともと瀬戸でとろろ庵という自然薯料理のお店をやっており、会社の代表でもある辻社長のアイデアで自然薯豆腐を始めた。
はじめはお店のメニューだけであったが、メディアなどでも評判になり著名な料理評論家のおススメの逸品として、取り寄せ注文が増え大阪などの阪急などでも販売されるようになった。
この自家製の自然薯豆腐が評判になり、足助に豆腐工房も立ち上げる際にお手伝いをさせていただきた。
現在では瀬戸から完全に足助に移転した。
辻さんはもともと大手乳業メーカーの出身で食品業界の事情についても詳しい。
新しいお店ができてはすぐに飽きられてなくなってしまう飲食業界の将来を常に憂いていた。
最近は更にこの「多生多死」のサイクルが短くなってきている。
飲食店の業態にもよるが比較的参入しやすい業種で、脱サラで始める人、異業種からの進出など新規開業がある。
外食関係の市場規模は24兆円程度とピーク時の29兆円超から比べるとシュリンクしており、その中で新しいお店ができてくるため当然競争が激化する。
長寿繁盛店は少ない。
とろろ庵さんは飲食店から豆腐工房に徐々に変貌し「あすけ楽市」という自然薯を使った商品を中心として直売所もやっている。
現在は息子さんに実務や譲り、大手乳業メーカーの営業で鍛えた経験を活かし卸部門の拡充をはかり徐々に多角化している。
飲食店等でも二毛作ビジネスなど様々な工夫をしている店も増えてきた。
飲酒運転の問題やリーマンショックなどで業態変化を迫られる店も多い中で参考になる事例だ。
あすけ楽市、自然薯豆腐工房
8:00~16:00
定休日: 火曜日(祝祭日は営業)
住所:豊田市井ノ口町三斗蒔4-1
(旧、香嵐渓の足助町)
TEL 0565-61-1860 / FAX 0565-61-1861